俳優祭の沿革
日本俳優協会が二代目猿之助(初代猿翁)会長のもとに再建されたのが昭和32年。第1回俳優祭は、その年の7月30日に行われています(東京体育館)。目的は、ふだん一同に会することのない協会員が集まり、自らの企画でお客さまに楽しんでいただきつつ、協会の資金集めもさせていただこうというもの。
実は、その前身である大日本俳優協会時代にも「大日本俳優協会演劇会」という、似たような催し物が行われ、大盛況であったといいます。特に、昭和11年12月26日、27日に行われた演劇会では六代目菊五郎と二代目左團次の共演が実現。劇団システムがはっきりしていた当時、ふだんの興行でこの顔合わせを見ることは不可能。戦前の名優ふたりが同じ舞台に立ったのは、後にも先にも、この演劇会ただ一度だけでした。
戦後、第1回のプログラムは、梅幸(七代目)、歌右衛門(六代目)、水谷八重子(初代)ら、八人の白拍子花子による『京鹿子娘道成寺』、北条秀司氏が『高時』『鈴ケ森』『切られお富』『連獅子』などをアレンジして書き下ろした『百鬼夜行』。久保田万太郎の作詞、杵屋栄蔵(三世)の作曲、協会員総出演による『芝居音頭』と、とても豪華なラインナップ。いつにない顔合わせで、ひと味ちがった催しを楽しんでいただこうという趣向は、今日まで変わらず受けつがれています。
目 的
目的は協会の運営資金集め。これは第1回から変わっていません。が、より具体的になったのは昭和50年、六代目歌右衛門が会長に就任した最初の俳優祭からでした。 同じ資金を集めるのなら、目的をもっとはっきりさせたほうがいい。そしてうんと儲けさせていただこう――そう言い出したのは、若かりし日の団十郎、菊五郎、初代辰之助、梅玉。話し合いの結果、福利厚生基金を設立。使途がより具体的になったことで、これ以降、参加する俳優の数もぐんと増えたといいます。
※この基金は、「医療費補助制度」として、会員の医療費の補助、休業見舞金や死亡弔慰金、集団予防接種などに使われます。また、「お稽古費用補助制度」にも使われています。これは、長唄、日舞、三味線、常磐津のお稽古費の一部を補助するもの。
また、毎回、収益の一部はチャリティにも回させていただいています。寄付先はそのときどきで様々。これまで、雲仙普賢岳や阪神淡路大震災、三宅島噴火災害などの被災者の援助に送らせていただきました。
プログラムの由縁
俳優祭=面白おかしいことをやってくれる、と楽しみにしてくださるお客さまが多いようです。が、おふざけではありません。それぞれの目的、曰わくをご紹介しましょう。
たぬき会
俳優は長唄や鳴物の稽古もしていますが、舞台でそれを披露する機会は滅多にありません。たぬき会は、そんな彼らの日ごろの研鑚を見ていただこうというもの。同じ舞台なのに、神妙な面持ちで並ぶ姿はなかなかの見ものです。
ちなみに、たぬき会とは、そもそも六代目彦三郎、七代目三津五郎、六代目友右衛門らが中心となって、三味線や鳴物の勉強のために発足させた会の名称でした。鼓や太鼓などの皮を打つことから、腹鼓を打つたぬきを連想した洒落だったそうです(前回俳優祭プログラムより)。
天地会
模擬店
俳優祭の初期には、ホテルの庭を借り切って"園遊会"を行ったこともありました。劇場で行うのと違い、各俳優が茶席を設けたり、出店をだしてみたり、また隠し芸大会やダンスパーティを行うなど、まさしく"うたげ"。その流れを受けついだのが、現在、休憩時間に行っている模擬店です。かつて、團十郎の「すし屋」(本人が握りました)、吉右衛門の「古道具屋」(歌右衛門が使った阿古屋の琴の爪、という逸品も)、菊五郎と勘九郎による靴磨きなどというのもありました。今回も、様々な趣向の出店のほか、オリジナルグッズ、秘蔵の隈取やサイン色紙の出品が予定されています。
新作
俳優祭で上演する芝居の多くは、歌舞伎や新派、新国劇の名作を天地会風にアレンジしたり、滅多に実現しない人気俳優同士の顔合わせを役代わりでご覧にいれる、といった趣向です。が、今では伝説となっている昭和50年の『白雪姫』以来、たった一日の俳優祭のために"新作"を仕上げる、という暴挙(!)に出ることも。そのいくつかをご紹介しましょう。
『白雪姫』(昭和50年)
『西遊記』(昭和63年)
歌舞伎ワラエティと銘打った菊五郎の構成・演出、團十郎の美術による爆笑劇。三蔵法師=福助(現・梅玉)、孫悟空=團十郎、猪八戒=菊五郎、沙悟浄=彦三郎に加えて、牛魔王=孝夫(現・仁左衛門)、その后鯨魔女王=左團次という想像を越えたキャスティング。ある筋の情報によると、このとき、楽屋のモニターに見入る猿之助の姿が目撃されています。
『佛国宮殿薔薇譚(べるさいゆばらのよばなし)』(平成元年)
猿之助の構成・演出による宝塚歌劇団の「ベルサイユのばら」のパロディ。宝塚好きが嵩じてか、本公演に負けず劣らずの熱の入りようで、ついには美術に本職の朝倉摂を引っ張り出すという暴挙(!)。オスカル役の児太郎(現・福助)は、友人のタカラジェンヌたちに稽古をつけてもらったらしい。
『鯛多ニ九波濤泡(たいたにっくなみまのうたかた)』(平成12年)
大ヒット映画をもとに京蔵の原案、石川耕士脚本、團十郎・猿之助の共同演出の、これまたとんでもない豪華な一幕。出演俳優数は過去最高。
劇中、なぜか紅白歌合戦まで始まって・・・。
以上、俳優祭のあらましをご紹介しました。が、こればっかりは見てみなければ面白さはわからないのが本当のところ。さらに言えば、俳優祭をどれだけ楽しめるかは、ふだんの舞台をどれだけご覧になっているかによるのではないか、とも思います。次回はどんなことになりますやら、どうぞお楽しみに。
俳優祭の記録とアルバム
すでに34回を数える俳優祭。 その各回の公演プログラムのすべてを、秘蔵の写真とともに振り返ります。 懐かしい俳優や、今をときめく俳優がさまざまな表情をみせてくれています。俳優祭の雰囲気をたっぷりお楽しみください!